Why I record Russia’s war crimes [Maria, member of a human rights organization] (in Japanese) | ZMINA Human Rights Centre

Why I record Russia’s war crimes [Maria, member of a human rights organization] (in Japanese)

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ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから2カ月半。ウクライナの各地で、ロシアによる「戦争犯罪」が指摘されています。

民間人への攻撃、拷問、レイプ、虐殺…。キーウにある人権団体では、戦争犯罪の証拠を記録しています。メンバーの一人、マリア・クリンナさん。彼女が活動を続ける理由となっているのは、8年前に家族を襲った悲しい出来事があるからです。

記録した“戦争犯罪”の数は…

大学で日本語を学び、かつて在日ウクライナ大使館で働いた経験もあるマリアさん。SNSや動画サイトでは、戦争前の美しい街の風景の写真などとともに、日本語でメッセージを投稿しています。

在日ウクライナ大使館に勤めていた時のマリアさん

私たちのリモート取材に対しても、あえて日本語で答えてくれました。

マリアさん

「日本のみなさんの支援には、とても感謝しています。(攻撃されているのは)どんな街で、ロシアがどのような戦争をしているのか、世界のみなさん、日本のみなさんに一生懸命知らせたいのです」

マリアさんが所属するキーウの人権擁護団体「ZMINA」は、弁護士や医師など専門知識をもったメンバーが集まり、ロシアによる“戦争犯罪”を訴える被害者たちから話を聞き取っています。実態を記録することで、今後“戦争犯罪”が裁かれるときの証拠とするためです。

ZMINAのHPより

(記録した件数は)700件以上です。これは2月24日から今日までの数字です。
ヘルソン、ドネツク、ルハンシク、ザポリージャ…。ウクライナは大きい国ですから、戦争の影響を受けた場所も多いので、これほどの大きな数字になっているのです」

「大きな情報」を集める

マリアさんたちが被害を訴える市民たちに話を聞くときに注意しているのは、医療などの専門知識をもったメンバーが話を聞くことだといいます。マリアさんの役割は、そうした情報を集めて統合し、被害の件数など「大きな情報」として発表することです。

私たちは “法廷”のために情報を集めています。

被害を受けた方の人権のことを考え、個別の繊細な情報をジャーナリストの方たちに伝えることは避けています。1年後、10年後、もしインターネットなどを通して自分の体験を再び目にしたら、彼らにとっては、それ自体がトラウマになってしまうからです。戦争犯罪の被害者は、自殺してしまう人も多いのです。そのため、私たちも話を聞くのは、専門的な知識を持ったスペシャリストだけです。「世界中の人に、戦争の実態を知らせたい気持ちもあります。でも、被害者の健康も大事なことなのです

8年前、母に起きた出来事

マリアさんは、現在激戦地となっているウクライナ東部、ルハンシク州で生まれ育ちました。
8年前の2014年。ロシアがクリミアを併合した際、東部のドネツクやルハンシクなどで、親ロシア派勢力が一方的に独立を宣言し、ウクライナ軍と衝突しました。
この時、マリアさんの家族に悲劇が起きました。一人自宅に残っていた母親が、親ロシア派勢力に襲われたのです。

2014年6月18日でした。街に残っていては危険だと考え、家族の中でまず私が列車でキーウに行くことにしました。父は駅まで私を見送りにきていたのですが、母はひとりで家にいました。その時、ロシア側の人たちに襲われ、暴行を受けたのです」

マリアさんの母親は、命こそ助かりましたが、心身に大きな傷を負いました。
当時どのような被害を受けたのか、くわしいことはマリアさんたち家族にも、話すことができない状態だと言います。

マリアさんと母 2014年撮影

「母は、とてもとてもつらい思い出だから話せないと言いました。だから私も、くわしく聞くことができません。
これはウクライナだけの問題ではなく、全人類の問題だと思うのです。私は、自分と自分の家族が、そうした“戦争犯罪”を経験しました。だから私は、同じような経験を誰一人にもしてほしくない。
自分の親や子ども、家族がどのような世界で生きていきたいか、つまり戦争は嫌だということです。だから、私は今の活動に一生懸命に取り組もうと思っています」

私たちはロシアではない、民主主義を選んだ

 

ロシアによる“戦争犯罪”が、今後正当に裁かれるために記録をする。マリアさんはその活動は「自分がしなければならない仕事だ」と、強い決意を語ってくれました。

私たちはウクライナをまた平和で楽しく住める国にしたい。小さな国が、これから先にウクライナのような経験をすることがない世界にしたい。そのために働きます。

私たちはロシアじゃない。彼らの影響下ではいたくないと、8年前、私たちウクライナはヨーロッパと同じ価値観である民主主義を選びました。だから、私たちは人権を守るために、動き続けなければなりません」

取材の後、マリアさんは私たちにいくつかの写真を送ってくれました。その多くは、まだルハンシクで平和に暮らしていた、2014年に撮影した家族と故郷の写真でした。

ロシア側勢力に母が襲われ、街から逃げざるを得なくなった8年前から、マリアさんたち家族は故郷・ルハンシクに戻ることができていません。

「また平和で楽しく住める国にしたい―」

今まさに戦火で破壊されていく街。その美しかったころの写真には、マリアさんの強い願いが込められているように思いました。

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